円山公園(その4)

             

 

明治20年代に公園として整いつつあった円山公園でしたが、明治32年に也阿弥ホテルが火事で焼失し、再建するも再び明治39年には吉水温泉と共に全焼してしまいます。明治42年からは、ホテルの跡地を利用した第二次拡張工事が始まり、公園東部に新たに庭園をつくることとなりました。

大正3年に完成したこの庭園は私の祖父である、八代目小川白楊が作庭にあたっています。

 

八代目は、新たに琵琶湖疏水から引いてきた水を使って庭園に流れをつくりました。東山をバックに琵琶湖疏水の勢いをもった大きな滝を造り、滝から流れ出る渓流は真葛ケ原を縫うように爽やかな流れとなりました。その途中には浅い池や菖蒲やカキツバタの咲き誇る池があり、またその水は、滝から直接清流として流れてきた水と合流して、小さな滝となります。そしてまるで鴨川の流れを思わせるようなきらめくせせらぎとなって、中央にある瓢箪池へと流れ込むのです。

その瓢箪池は大きな円山公園の中心を占めており、今までなかった豊富な水が琵琶湖疏水の水によって流水池を形成しています。太鼓橋を中心とした瓢箪池の水が満々と湛えられることは、幕末のどんど焼の大火や吉水ホテル等の火災に怯えた京都市民のこころの平安となったことでしょう。

 

八代目のおつくりしたこの水の流れは、七代目がそれまでにつくった祇園北林の流れや現在の市民の森へと流れ込んでいきます。そしてこの水はやがては鴨川へと流れ込むという壮大な円山公園がそこに完成したのです。

(その5につづく) *写真 小川白楊撮影

11代 小川治兵衞