円山公園(その3)

        

        

 

明治維新後の京都は、遷都になったことにより、経済が急激に悪化してしまいました。そしてそれと同時に京都の景気のバロメーターであった八坂の賑わいも、急速にさびれていってしまったのです。また明治4年上知令により、八坂一帯にあった、祇園宝寿院、八坂神社の坊舎、安養寺、長楽寺、等が国によって召し上げられ官有地となりました。これにより、周辺の土地利用の仕方が大きく変わることになります。そして明治6年に国はここに公園を開設するように布告し、吉水温泉が竣工、明治12年には也阿弥ホテルが開業し、賑わいを取り戻してゆきます。みなさんがご存じの形の庭園になってくるのはもう少し後からのことで、明治23年以降京都市は公園としての統制をとるために周りの土地を収用し拡張をしてゆきます。

 

明治28年、私の曽祖父である七代目小川治兵衛は円山公園の作庭にあたり、しだれ桜周辺に池や水の流れをつくり、又季節を際立たせる桜やモミジ等をお植えいたしました。

七代目は、明治23年に完成した琵琶湖疏水を利用して、この池をつくりました。そして琵琶湖疏水の高低差を利用することによって自然の力で吹き上がる噴水をおつくりし、当時珍しかった噴水を市民の方々にご覧いただいたのです。その池から出た水を祇園しだれ桜の北側へと流し、現在の市民の森の川へと通じる渓流をつくりました。

当時の円山公園はホテル街と祇園しだれ桜、池、水の流れを中心とした公園が整いつつありました。

(その4に続く)                                                                                                      

11 小川治兵衞